ワーグナー:歌劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』抜粋盤
【独デッカ盤】
パウル=シェフラー(Bs:ザックス)
オットー=エーデルマン(Bs:ポークナー)
カール=デンヒ(Bs:ベックメッサー)
ギュンター=トレプトウ(T:ヴァルター)
アントン=デルモータヒ(T:ダーヴィト)
ヒルデ=ギューデン(S:エファ)
エルゼ=シュルホフ(Ms:マグダレーネ) ほか
ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
ウィーン国立歌劇場合唱団
Recorded:1951,1952
抜粋盤である。また廉価盤ゆえ採り上げるべきものでもないかもしれない。クナッパーツブッシュ指揮のマイスタージンガー、Deccaレーベル全曲盤がもう超がつくほど名盤だが、私にとってこの抜粋盤はドイツで初めて購入した想い出深いものであり、愛着のLPレコードの一つである。ケルンの蚤の市だったと思うが、まったく20ドイツマルク(2,500円ぐらい?)もしたのである。当時、日本で輸入盤でも廉価扱いで普通に出回っている類いのものだが、ドイツ国内で中古レコード屋さんというのは探してもほぼ見つからずに、たまたま見かけたものを意地になって買ってしまったのだ。擦り切れるほど聴いて十分にもとが取れた1枚である。後に1955年にクナがバイエルンを振った全曲盤も入手したのだが、これもまあホントに素晴らしい名盤でもあるのだが、たまにこの抜粋盤に戻って聴いてみるとやはり心に染みるのである。なぜだろうか。特にB面の抜粋部分に好ましい箇所が的中していることもある。ザックスの「ここにひとりの子どもが誕生した・・・」から始まる昇格儀式、続いて次第に盛り上げを見せてゆく五重唱、「目覚めよ」の合唱、ワルターの「夢解きの歌」。本来、観るものとしてのオペラが、聴く行為に特化した場合は別のものに変化してしまう。抜粋盤といっても侮るなかれ。抜粋盤から全曲盤、そして抜粋盤へのリターン。私自身の普遍のパターンなのではないかとも思っている。この名曲は聴くに4時間半もかかる長大な作品だ。どうしても部分的に聴くことも余儀なくされる。予めこうだと決められて聴くのもいいものだと思ったりもする。
でもクナの演奏はなぜ心に染み入るのだろう。現存する映像を見る限りでは非常に真面目な演奏スタイルの印象を持つのだが、マイスタージンガーのレコード音源からは演奏を観てもいないのに、クナのタクトで歌手や楽団員が伸び伸びとリラックスして、真に楽しそうに演じている姿が思い浮かんでしまう。さりとて歌手や楽団員たちは常に畏敬の念を持って接していたに違いないのだ。彼には楽譜どおりの計算された緻密さを全く期待してはいけないのであって、その時そのままの舞台やト書きの情景を、彼が感じるがまま悠然と演奏することを受け入れなくては話にならない。時たま部分的にゆっくりと奏でたりすることで音の奥行きや質量を聴く者に感じさせる、不思議な作用も彼の特徴でもある。管弦楽としてはブルックナーが好きだが、ライトモチーフを多用するワーグナーが最もお似合いのものではなかろうか。先ずは序曲、前奏曲で打ちのめされ、舞台展開で彼の世界に引きずり込まれる。クナのマイスタージンガーの映像が残っていたら、感じ方はまた違ったものだとは思うが、残っているレコード音源でも聴く者の心を捉えてしまう魔力が現に存在する。