もうひとりこの店にはなくてはならない方がいた。奥様の存在である。一言で言うと怖かった。実は鑑賞上の注意を受けたことは数知れない。生意気に足を組んで曲を聴こうものなら一瞥をくれるあの恐ろしさである。ここは原則、私語も厳禁であるが、曲に対しての畏敬の気持ちも求められたようだ。いつであったか私は件の注文伝票紙にリクエスト曲を書き、本を読みながらリクエスト曲を待っていた。そして自分の曲がかかった頃には、その書物の方にのめり込んでしまっていたのだ。そして奥様はありがたくも、水がなくなった私のグラスに水を注ぎ足しながら耳元でこう囁いたのであった。「リクエストしたのなら…ちゃんと真面目に聴きなさい。」まさに心にも冷や水を注がれたのである。
またある時。私はまず一曲、リクエストをかけてもらい、他のお客さんのリクエストもなかったので、続けてもう一曲かけてもらうことを図々しくも考えたのである。実は長大な交響曲をかけた後だったのだが、私はもう一枚、懲りずに交響曲をリクエストしようと試みたのであった。しかしそこで奥様からは一言。「続けてあまり大きな音をかけるのもねぇ。夜も遅いとお外に迷惑がかかるのよ。」(さすがに私にも配慮が必要だったのかもしれない…。)

いつもこんな調子で私はいつもビビっていた。でも奥様は音楽鑑賞の規則には厳しい反面、もちろん優しいところもあった。水の入ったトールグラスはおしゃれで飲みやすいのだが、誤って倒して水をこぼしてしまうことも意外に多かったのである。そんなときはすぐに来て「あなたの方は汚れていない?大丈夫なの?」と優しい気遣いも忘れないのだ。奥様には他意はない、ただただ音楽鑑賞の環境を保つということに重点を置いていただけなのだ。私はとにかくこのお店の雰囲気に魅了されてしまい、一時アルバイトさせてもらえないかと奥様に頼み込んだこともあったが「うちはアルバイトを雇う余裕はないの。」と断られたことさえあったのだ。

私が田舎に帰って就職し、数年経ったのち仕事ついでに訪ねると、すでにご主人は黄泉の客となっていた。そして手元には、在りし日のご主人が蓄音機に耳を傾けている姿を描いた、今となっては使用する機会がなくなったテレフォンカードが一枚ある。ご主人を偲んで作成されたものをあとで奥様から分けていただいたものだ。しかしお店はというと、やはり変わらない雰囲気を保っていた。今回の場合は、来店のお客さんがリクエストしたLPレコードがどうも「わけあり」であったようだ。中には演奏家名などが誤ってジャケットに明記されているもの(この場合、レコード会社も音源が誤っていることを気づかずに発売したもの)も希に存在するのだ。そこでは奥様は間髪入れず、そのレコードが如何なるものかの説明をお客全員に聞こえるようにきちんとしてくださった。場の雰囲気を損なうこともなく。

その姿に安堵したのは私だけではないだろう。ご主人の作り上げた名曲喫茶バロックの伝統はそうやって守り続けている。意思と信念を感じさせる一場面であった。

レコード紹介へ続く〉