吉祥寺に『こんつぇると』という名曲喫茶があった。
吉祥寺伊勢丹に向かうプチロードの途中に意外にもひっそりとした空間がある。洋風な黒鉄の門を開けると入り口までの短い道程まで洒落たガーデニングが施されている。こぢんまりとした古風な木扉をくぐると名曲喫茶にありがちな薄暗さ。店内はそれほど広くなく、高価なスピーカーから流れる旋律以外の物音は聞こえない。それもそのはず。ここは私語厳禁の喫茶店なのである。
訪れる際には独りが相応しいのかもしれない。そもそも多くのお客さんを受け入れるためのスペースが用意されていなかった。店の中にいた険しい顔の二人連れは、店を出ると直ちにたった今聴いた曲の感想を確かめ合うのではないかと想像してしまう。店の飲食メニューも何があったのだろうか。思い出せない。コーヒーやケーキの味よりも、むしろ曲間の静寂、器楽曲のピアニシモの状態の中、カップをソーサーに置いた時におきてしまうカチン音やアイスドリンク類を飲むときのストローのズーズー音をたてないように気をつけよう、という意識の方が先んじたことを想い出す。新聞なども持ち込んではいけなかった。紙面をめくる際のガサガサ音も耳障りな音に分類されるからだ。お店の中にさりげなく書いてある「おしゃべりお控え願う」とのお知らせはその実、言葉以上の効果をいかんなく発揮していた。訪れる者の所作の細部にまで、その一言が影響を及ぼしたのであった。
〈吉祥寺『こんつぇると』②へ続く〉