このような独特の空気感が漂う中では曲のリクエストも慎重にする必要があろう。周りは常連だ。その選曲にも興味を持たれる。もちろん選曲に関して何か言うお節介はないのだが。有名な曲ほどハードルが高く難易度が増す。リクエストは自由なれど、しかしここはまさにビギナーはビギナーらしく振る舞った方がいい。有名な「四季」をチョイスしたとしよう。付け加えるように小声でイ・ムジチでお願いしますと。
「こんつぇると」の雰囲気はバッハやモーツアルトが似合っていた。その線で考えれば、ヴィヴァルディという選曲は悪くはない。売れに売れたフィリップス盤のアヨーはごもっともな話で、チェチューリアのどの盤を店のコレクションとして置いているのか、リクエスト帳で下調べもあれば常連を安心させたことだろう。
さて私は店に相応しい無難なセレクトが出来たのであろうか。お似合いはシンフォニックな調べなのか、小編成の楽器同士の会話なのか、バロックなのか、古典派以降を得意とするものなのか。目眩く考えた末に、私はリクエストをするのをためらっていた。その空間を満たすための見極めが困難だった。店に長居をしたり、何度か通って確かめることで出来たのかもしれない。しかし何よりも、若い自分には多少の実体験を積んだところで、リクエストをするべき勇気がなかったのであった。でもそれはそれで良かったと思うのだ。
私語を禁ずる。しかし別にお客を軽んじる訳でもない。店のスタイルを守るためにはルールに従ってもらう。その些細な、しかし重要なこの決め事が、お客様を大事にすることに繋がっていることにいつしか気付くのである。常連客や店主のかける曲をお勉強させていただく、謙虚さを持った気持ちで聴かせていただく。そんな喫茶店が存在しなくなって久しくなった。緊張した面持ちで今回はどんな体験をさせてもらえるのだろう、そんなかしこまった姿勢で、この喫茶の門を開ける当時の自分自身を思い起こしている。
〈レコード紹介へ続く〉