エピソードの一つを紹介したい。私の記憶の一部である。この店の常連客の一人に独りの老婦人がいた。いつもお昼過ぎに件のお決まりサロン席に陣取り、ミルクティであったか、注文をする。そしておもむろに、いつも決まってこの台詞だ。「例のフランクをお願いね。」

お昼とはいえ、フランクフルトの入ったアメリカンドッグを意として注文しているわけではない。もちろんご存じの方には大変失礼であるが、あのヴァイオリンソナタやフーガでも有名なフランスの作曲家セザール=フランクのことである。そして言葉の意は「交響曲ニ短調」を指す。

彼女は来店するたびにこの曲のリクエストを繰り返す。あのダーダダダー、ダーダダダー、ダーダーダーダダダーの実に暗い出だしの旋律から始まる曲である。これが老婦人と絶妙に似合っている気がして、曲が始まると可笑しく、そしていつしか私まで曲に病みつきになってしまっていた。多用される循環形式やいきなりの転調は、高揚感が急に絶望感に陥ったり、その逆をも感じたりと惹きつけられることこの上ない。

私は一度として老婦人と会話をしたことはなかったが、この名曲を通じて何か繋がっているとさえ思った。しかし老婦人の姿は突如として消えた。誰かに聞けば消息を突き止めることも可能だったかもしれない。しかし誰にも聞けなかった。聞いてはいけない予感を感じとったからだ。

あれから年月が流れている。しかし今でもこの曲を耳にすると、かの空間を想ひ出す。第三楽章の冒頭、闇から放たれ光を全身に浴びたかのように、曲が羽ばたく。そこに耳を傾け、時に頷く、かの老婦人の姿が見えたのかもしれない。この店の素晴らしさはサロンスタイルも含めた優れた居心地感であった。型にはまらず集う面々も様々。老若男女、素性も知らない。徒歩で行けるほど住まいも近かった。夜にふらっと聴きに行くこともあった。たった一杯の珈琲で何時間も読書にふけこむこともあった。そんな人間をすぐに周囲に溶け込ませ、気付かれず、いつしかその存在をも包み隠してしまう。ヘンゼルとグレーテルのお菓子の家だったのか。ひっそりと不思議と落ち着きをもった光景が今でも蘇る。

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