阿佐ヶ谷にヴィオロンという名曲喫茶があった。
阿佐ヶ谷という街は南口から青梅街道まで続く長い商店街や並木道が印象的だった。しかし駅北口から西荻窪方向、中央線沿い左手に広がる飲み屋街も実に渋く、情緒漂う小路も広がっていた。そして夜もふけると当時は酔っ払いも多かったのだ。スターロードと呼ばれる細路を歩いておよそ10分まさに街灯ポールも途切れる最果てにその店があった。
名曲喫茶は、最寄りの駅があるにもかかわらず、意外にも駅から少し歩いたところにあることが多い。突拍子な例えになるかもしれないが、LPレコードに針が下りてから曲が始まるまでの、数秒の合間がなんとも幸せな気持ちに感じられるのに似て、阿佐ヶ谷駅を下車してトボトボと歩く、この数分の間に「ああ、今日はリクエスト何にしようかな。ベートーヴェンのソナタか、それともショパンの気分かな。」などと思案するのも、ちょっとした幸せを感じてしまうのだ。この距離感があってこそ店に向かう心構えも整う、つまりは格好良く言えば、道程の無為の時間が貴重で意味があったのだと思う。
スターロードの小道は、ヴィオロンと併設のタイ料理レストラン、向かいの和菓子屋さんが末端であった。趣のある店の木扉を開けると薄暗い照明の中に小さなシューボックス構造が広がる。入って左側がキッチンと音響機材置場であり、店に収容できる人数もお客さん20人ぐらいであった。中央正面奥にクレデンザ、かつては家一軒分の値が張ると言われた蓄音機がある。更にその後ろには奥行きのある小さな“奈落”があり、店主手製のスピーカーが頑丈な板に張り付いて吊されている。音響にまつわる何もかもが店主こだわりの造りだった。中央の”客席”はウィーンのムジークフェラインに倣うかたちで少し窪んでおり、私はサイドの框から2段ほど下りたところの、左手正面の一人席に陣取るのが常だった。そのすぐ横には小さな鉄製のペチカが身の置きどころがないような状態で鎮座していた。
今では珍しいものであるが、何の変哲も無いペチカ。しかしこのペチカはある種の境界を示していたのかもしれない。挟んで横並びに不思議な人物がいつも座していたためである。当の本人は知らないと思うが、その頃「グールドさん」と呼ばれていた。風貌がかの有名ピアニスト似であり、ベージュ色の麻スーツに身を包んでいた。時代劇などの殺陣師であるとの噂、常に寡黙で声を発したのを一切聞いたことがない。常に長い足を組んで、静かに音楽だけに耳を傾けている。そして店内で彼の座るその椅子だけはスプリングの調子が悪く、座り心地も宜しくないものだったのに、なぜかそこに座るのだ。ここが俺の特等席と言わんばかりに。この御仁はこの店の常連である。かように名曲喫茶にはこのような人物が一人二人は居て、店の雰囲気の一役を担っているのも、不思議なことではあった。
〈阿佐ヶ谷『ヴィオロン』②へ続く〉